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2011年 05月 23日
東日本大震災の被災地に送られる楽器が二十二日立川市から東北地方に向けて出発した。歌手庄野真代さんらが呼び掛けて集まったフルートやクラリネットなど約百三十の楽器で現地にツアーに向かうステージトラック「つばさ号」に積み込まれた。 庄野さんや同市のクラリネット奏者橋爪恵一さん妻の音楽プロデューサーしおみえりこさんらが宮城や岩手の音楽関係者の求めに応じ使われなくなった楽器の寄付を呼び掛けたところこれまでに三百近く集まった。 第一弾として庄野さんと「国境なき楽団」のキャラバンツアーに合わせ宮城と岩手に楽器を持参することにした。この日は旧立川市役所跡地での公演終了後に楽器を積み込んだ。庄野さんは「予想以上の楽器が集まった。多くの方の愛情が寄せられたことを音色に響かせてくれたら」と期待していた。 平成二十三年五月二十三日 愛情の楽器 被災地に 歌手庄野さん呼び掛け 日本の病巣 世界の病巣 露西亞平原 本日モ侵略止マス 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 2011年 05月 23日
東日本大震災の被災地の子どもたちに楽器を贈ろうと呼びかけているNPO法人国境なき楽団の歌手庄野真代さんと友人で立川市在住の音楽プロデューサーしおみえりこさんらが22日同市錦町の旧立川市役所跡地で被災地出発前の最終コンサートを開いた。終了後楽団はこれまでに集まった楽器をトラックに積み込み仙台市へ向けて出発した。 楽団は都内を拠点に10年前から児童養護施設や老人ホームを訪問してコンサートを開いたり発展途上国の子どもたちに楽器を贈ったりしてきた。 先月中旬庄野さんが岩手県陸前高田市の高校から楽器が津波で流されて困っているので助けてほしいと連絡を受けたことがきっかけでしおみさんとともに新聞などで楽器の提供を呼びかけていた。これまでにフルートやトランペットギターなど約300個の楽器が集まり今回はそのうち約130個を被災地へ贈る。 先月末から楽団は山口県や兵庫県愛知県などを回り無料コンサートを開いて義援金も募っていた。この日はしおみさんの呼びかけで集まった音楽家やゴスペルグループによって演奏や合唱が行われ約100人の観客が雨の中聞き入っていた。最後は庄野さんが「翼をください」を会場の全員と合唱し締めくくった。 また被災地に届けるために提供された楽器を使って演奏の仕方を子どもたちに教えるワークショップも開かれた。クラリネットの演奏を体験した立川市羽衣町の三井玲奈さん(8)は「難しかったけどちゃんと音が出たので楽しかった」と笑顔だった。 しおみさんは「中学生の時にクラリネットをやっていたので楽器を失ったさみしさがよくわかる。子どもたちの奏でる音楽で周りの人も元気になってくれたら」と期待し庄野さんは「提供された楽器にこもっている愛情を感じて被災者の子どもたちに演奏してほしい」と話していた。 平成二十三年五月二十三日 旧市役所で被災地支援コンサート 立川の音楽プロデューサーら 日本の病巣 世界の病巣 露西亞平原 本日モ侵略止マス 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 2011年 05月 19日
◆二十二日に第一陣「音楽を心の支えに」 東日本大震災の被災地に楽器を届ける活動に東京都立川市の音楽家らが取り組んでいる。津波で楽器が流された学校などから要望が寄せられたことがきっかけという。二十二日にトラックに積み込み現地に向かう。呼び掛けに応じて既に約二百に上る楽器が寄せられたが音楽は心の支えになるとしてさらなる協力を呼び掛けている。 活動の中心は同市のクラリネット奏者橋爪恵一さんと妻で音楽や芸術関連の行事をプロデュースするしおみえりこさん、国境なき楽団で活動している歌手庄野真代さん。 震災後橋爪さんの元に宮城県吹奏楽連盟から庄野さんの元には岩手県陸前高田市にある高校から楽器が足りないので送って欲しいといった要望が寄せられたことがきっかけ。音楽を通じた国際協力などで交流があった三人は一緒に楽器集めに取り組むことにした。 四月から呼び掛け始めるとリコーダーや鍵盤ハーモニカ金管木管など多種多様な楽器が遠くは兵庫県や愛知県からも寄せられた。激励の手紙や現金を一緒に送ってくれる人も多かったという。置き場となった橋爪さん宅は足の踏み場もないほどになった。 国境なき楽団と橋爪さんらは二十二日午後二時から旧立川市役所の跡地でコンサートや音楽ワークショップを開く予定。終了後ステージトラックつばさ号に楽器を積み込み被災地を目指す。楽器は使えるように調整したうえで地元の音楽団体などを通じて必要な所に振り分けてもらうという。 しおみさんは「寄せられる楽器に応援の気持ちがこめられているとすごく感じる。手元に楽器があれば寂しくなった時でも音を出すことで気持ちを切り替えられるはず」と楽器の持つ力に期待する。 楽器は六月にも第二陣として被災地に届ける予定。問い合わせは橋爪さんが代表を務めるカーニバルカンパニーの電話 042-522-6135 かメール carnival@whi.m-net.ne.jp へ。 平成二十三年五月十九日 被災地に楽器を 奏者ら呼びかけ 日本の病巣 世界の病巣 露西亞平原 本日モ侵略止マス 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 2011年 05月 06日
東日本大震災の被災地の人たちへ楽器を送ろうと使わなくなったクラリネットやトロンボーンなどの楽器を寄託するよう歌手の庄野真代さんらが呼びかけている。集められた楽器は被災地の学校などに届けられるという。 庄野さんはNPO法人国境なき楽団で活動しておりステージトラックつばさ号で児童養護施設などを訪問しコンサートを開いたり家庭で眠っていた楽器を募って世界各国に2000個以上のリコーダーや鍵盤ハーモニカなどを送ったりしている。 震災後庄野さんに岩手県陸前高田市の高校から吹奏楽で使う楽器を送ってほしいという連絡がきた。友人で立川市在住の音楽プロデューサーしおみえりこさんらにも宮城県で被災した吹奏楽団体を救済するため楽器が欲しいという連絡が入っており2人を中心に広く楽器を集め被災地に送ることにした。 しおみさんは音楽とアートを企画する集団カーニバルカンパニーに所属しておりフルートやトランペットトロンボーンの演奏家に声をかけ楽器の調整も行う。国境なき楽団は4月末から巡回公演中で今月23日から仙台市など被災地も巡る予定。その際つばさ号で楽器を届ける。 集めているのは吹奏楽で必要な金管木管楽器のほかリコーダーや鍵盤ハーモニカリードやマウスピースも。庄野さんは「色々な人と支えあって暮らしは作られている。出来る限りのことをしていきたい」と話ししおみさんも「子どもの時に使ってそのままとっておいてある楽器などを役立ててほしい」と呼びかけている。問い合わせはカーニバルカンパニー 042-522-6135 または国境なき楽団 info@gakudan.or.jp へ。 平成二十三年五月六日 使わない楽器寄付して 音楽で被災地支援 庄野真代さんら 日本の病巣 世界の病巣 露西亞平原 本日モ侵略止マス 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 2011年 03月 24日
天皇皇后両陛下が東日本大震災の被災地に思いをはせお住まいの皇居御所の電気を一定時間使わない自主停電を続けられていることが分かった。国民と困難を分かち合いたいという趣旨で15日に始めたもので宮内庁の羽毛田信吾長官らによると陛下は寒いのは着れば大丈夫とおっしゃっているという。 両陛下は計画停電で第1グループに分類された地域の停電時間に合わせ1回約2時間にわたり明かりや暖房といった電気の使用を一切控え時にはろうそくや懐中電灯を使いながら過ごされているという。暗い中で夕食を取られることもあったようだ。 両陛下は第1グループで停電が計画されたものの実際には電力供給が逼迫せず停電がなかった日も当初の計画時間に合わせ自主的な停電を実行された。15日から23日まで1日も欠かさずに行いスケジュールに合わせて同じ日に朝晩2回電気を止められた日も複数回あったという。宮内庁東宮職によると皇太子ご一家も同様の自主停電をお住まいの東宮御所で行われているという。 計画停電では皇居のある東京都千代田区は対象地域になっていない。 平成二十三年三月二十四日午後九時三十五分 両陛下 自主停電お続けに 日本の病巣 世界の病巣 露西亞平原 本日モ侵略止マス 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 2011年 03月 24日
宮内庁は24日両陛下や皇族方が静養に使われている那須御用邸(栃木)で職員が使用している風呂を近隣地域にいる東日本大震災の避難者に開放すると発表した。また同県の御料牧場で保管している卵約1千個や缶詰野菜などを避難所に提供する。いずれも両陛下のご意向を受けて決めたという。 風呂の提供は26日にも開始。バスで送迎し最大で週に300人程度の避難者が入浴する見通し。健康相談も受け付ける。 御料牧場では牛乳も生産していたが地震で原乳の処理施設が損傷し現在は生産できない状態になっているという。 平成二十三年三月二十四日午後三時五十四分 那須御用邸の風呂を開放 両陛下のご意向で 日本の病巣 世界の病巣 露西亞平原 本日モ侵略止マス 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 2011年 03月 21日
ロシアの大衆紙モスコフスキーコムソモーレッツは東日本大震災に見舞われた日本への同情の印としてロシアは北方領土を日本に返還すべきだとする異例のコラムを掲載した。 18日付で筆者は女性記者ユリヤカリニナさん。これまで領土返還に反対だったが「地震と津波ですべてが変わった。日本に降りかかった不幸を和らげるため北方領土を今すぐ無条件で引き渡すべきだ」と主張。ロシアは広大な国土面積の 0.035% にすぎない四島に固執する必要はないとの考えを示した。 ロシアは最近強硬な対日外交が目立っていたが被災した日本に対してロシアとして初の救助隊約150人を派遣。悪化していたロシアの対日世論にも改善の動きが出ている。 平成二十三年三月二十一日午後七時十三分 「北方領土返還を」ロシア紙に異例の時評 日本の病巣 世界の病巣 露西亞平原 本日モ侵略止マス 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 2011年 03月 20日
天皇陛下は3月16日東日本大震災の被災者や国民に向けたお言葉をビデオを通じて語られた。玉音放送は昭和20年8月15日の昭和天皇の終戦の詔書以来でありこの震災が敗戦以来の国難であることを私たち国民はあらためて胸に刻むこととなった。 天皇は古代から現在に至るまで祭り主で常に国家の安寧と国民の幸せを祈り続けてきた。阪神大震災のとき被災者が村山富市首相に冷たい視線を浴びせても両陛下のご訪問には感激したのは天皇が無私の存在だからだ。菅直人首相の空虚な記者会見に耳を傾ける人がいなくても天皇陛下のお言葉を拝聴するのは天皇が日本そのものだからである。 昭和天皇は東京への空襲が激しくなっても松代大本営に移ることを最後まで拒まれた。そして今天皇陛下は皇后さまとともに国民と困難を分かち合いたいとお住まいである御所のブレーカーを一定時間落とされている。電力消費が大きい宮殿は国事行為で使う場合を除いて閉鎖している。 陛下はお言葉で「これからも皆が相携えいたわり合ってこの不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。被災者のこれからの苦難の日々を私たち皆が様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」と述べられた。 ところがどうだろう。首都圏では被災地に振り向けるべき水やガソリンなどの買いだめが行われている。計画停電や電車の運行本数減で自分も被災者であるかのように錯覚している。 関西でも水やカップ麺乾電池などが品薄になっている。首都圏の家族や知人に頼まれて送っている人もいるという。パチンコ店やゲームセンターは営業しているしプロ野球はナイターをやりたいと言っている。統一地方選で選挙カーが走り回る。 世界中が日本の犠牲者を悼み全面的な支援を表明してくれているのに申し訳ないではないか。 今こそ私たちは御心に沿い一人一人ができることを行って国全体で被災者を助けなければならない。放射性物質の放出を封じ込めなければならない。過去の歴史がそうであったように皇室を戴く日本人はこの国難を必ず乗り越えることができるはずだ。 平成二十三年三月二十日午前十時三十二分 六十六年ぶりの玉音放送を拝して 日本の病巣 世界の病巣 露西亞平原 本日モ侵略止マス 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 2011年 03月 16日
この度の東北地方太平洋沖地震はマグニチュード九・零という例を見ない規模の巨大地震であり被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また現在原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。 現在国を挙げての救援活動が進められていますが厳しい寒さの中で多くの人々が食糧飲料水燃料などの不足により極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより被災者の状況が少しでも好転し人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして何にも増してこの大災害を生き抜き被災者としての自らを励ましつつこれからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。 自衛隊警察消防海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々諸外国から救援のために来日した人々国内の様々な救援組織に属する人々が余震の続く危険な状況の中で日夜救援活動を進めている努力に感謝しその労を深くねぎらいたく思います。 今回世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届きその多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。 海外においてはこの深い悲しみの中で日本人が取り乱すことなく助け合い秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携えいたわり合ってこの不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。 被災者のこれからの苦難の日々を私たち皆が様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるようまた国民一人びとりが被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。 平成二十三年三月十六日 東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば 日本の病巣 世界の病巣 露西亞平原 本日モ侵略止マス 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 2011年 02月 15日
平成22年9月7日に尖閣諸島沖で発生した海上保安庁の巡視船と支那漁船との衝突事件。海上保安庁は同漁船の船長を公務執行妨害で逮捕那覇地検石垣支部に送検したものの那覇地検はわが国国民への影響や今後の日支関係を考慮したと処分保留を決定支那に送還した。 海上保安庁はその衝突の様子をビデオで撮影していたものの政府は支那への配慮から映像の全面公開には踏み切らずにいた。そんな中11月4日夜に YouTube にアップされたのが衝突事件の概要を示した動画である。sengoku38 という ID によって投稿された動画では支那漁船とみられる船が海上保安庁の巡視船とみられる船に衝突する模様が映されていた。 機密とされていたこの動画を YouTube にアップしたのは当時神戸海上保安部の現役保安官だった一色正春氏。この件で警視庁は平成22年12月一色氏を国家公務員法の守秘義務違反容疑で書類送検。だが東京地検は1月入手経緯や流出目的が悪質でないことや一色氏が停職12カ月の懲戒処分を受けて退職したことを踏まえ起訴猶予とした。 一色氏の行動には本来公開すべき情報を明るみにしたと賞賛する声がある一方機密を守らなかったことは公務員のあり方から逸脱していると非難する声もある。 一色氏はどのような思いから映像の公開に踏み切ったのだろうか。手記『何かのために sengoku38 の告白』を出版するにあたり2月14日に日本外国特派員協会で行った会見の模様をお伝えする。 ● 海上保安庁での仕事 一色 おそらくみなさまは私のことをあまりご存じないと思いますので最初に自分自身のことを話します。私は昭和42年京都市で生まれました。15歳の時に船乗りを志しそのための学校に入るために親元を離れました。そこは全部で5年半で最初の4年半は机上の勉強最後の1年は帆船を含む練習船に乗って1年間国内外のいろんなところを回りました。学校を卒業してからも外国航路の商船に乗って約5年間世界各国を回りました。それから船を降りサラリーマンなどを経て約30歳で海上保安庁に入りました。 私が行ってきた海上保安庁での仕事は一貫して船に乗るもので警備救難業務に従事していました。仕事の内容はあまり詳しく言うとまた国家公務員法違反で捕まりそうなので(会場笑)そこは伏せておきます。ここからはみなさまご存じだと思いますが平成22年12月に退職して現在に至っています。 みなさまの中にも海上保安庁と海上自衛隊を混同されている方がいらっしゃるようです。先ほども海上自衛隊の方ですかと聞かれて違いますと答えました。日本は国土は狭いのですが領海や排他的経済水域を含めるとかなりの広さになります。これを守っているのが海上保安庁です。 当然国境警備隊という性格の仕事も兼ねています。現在日本はいくつかの領土問題を抱えています。最近はそれに加えて尖閣諸島にもそういう問題を作ろうという動きが出てきています。その国は南支那海で行ったような方法で日本に侵略を開始したとも受け取れるような行動をしています。平成22年9月に起こって私が11月に流したビデオを見ていただけるとその一端が少しは分かると思います。おおよそ私の考え得る限り漁船がああいう感じで衝突するということは考えられないことでした。 ● 国民が求めているのは真実の報道 一色 これからは私の個人的な考えを述べさせていただきます。今21世紀という時代を迎えていわゆる国際紛争を武力で解決しようという動きを私は感じています。本当に尖閣諸島が自国の領土であると思うのであれば証拠などに基づいて言論で争うべきであると私は考えています。 世界は過去の反省から国際司法裁判所など武力によらない紛争の解決手段を考え出しました。それは過去において武力で解決しようとした結果が空しいものであるということを我々人類が十分に学んだからだと思います。私を含む多くの日本人は国際紛争を平和的な方法で解決したいと思っています。 しかしその半面最近日本周辺の諸外国の動きを見ていると力には力で対抗するという考えを持つ人が増えてきたように感じています。現在の日本は相手が話し合いで来れば話し合いで応えるでしょう。反対に力で来れば力で押し返そうとするかもしれません。私は個人的にそういう解決方法を望みませんがこれは相手次第です。攻められれば守るというただ単純な理屈です。 そこでみなさまにお願いがあります。もし日本と他国との間に争いが起こった時片方の言い分だけではなく日本の言い分もぜひ聞いてください。なぜかと言うと日本が長い方はご存じだと思いますが日本には自らのことを多く語らないということを美徳にする文化があります。それにより過去にいろんな失敗をしたケースがあります。 現在日本においてみなさまのような海外メディアの注目度が高まっています。自国のニュースでも海外のメディアを通じて情報を得ようとしている人が最近多くなっています。それは信頼度の問題です。 具体的な例を挙げると平成22年に日本各地で起こった反支那デモに対する報道姿勢などを見ていると我々国民は数ある選択肢の中から誰が本当の情報を流しているか誰が流さずにいるかということに気付き始めています。それを見極めて正しい情報のみを取捨選択することに多くの人が気付き始めています。これは考えようによっては海外メディアのみなさまにとっては大きなビジネスチャンスかもしれません(会場笑)。 いずれにしろ我々国民が求めているのは真実の報道です。あの事件に関してもなぜビデオが機密になっているのか誰の手によってあのビデオが公開されなかったのかそういうことをみんなが知りたがっています。もしメディアがそれを明らかにすることができれば恐らく日本国民から絶大な信頼を得ることになります。あの漁船の船長のインタビューでもとれればかなりの注目を集められると思います。 最後になりますがみなさまにもう1つだけお願いをしておきます。春になってあの尖閣諸島で起きる出来事を第三者の目で公平客観的に全世界に向けて報道していただきたいと思います。 ● 石原都知事も出席 一色氏が事件後に初めて行った記者会見とあって会場となった日本外国特派員協会には海外メディアだけでなく日本のメディアも多く詰めかけた。またメディア以外にも東京都知事の石原慎太郎氏も出席一色氏にさまざまな質問を投げかけた。 なぜ sengoku38 というハンドルネームで動画を投稿したのですか また日本のメディアについてどのような印象を持っていますか 一色 sengoku38 に関しては一貫して秘密にしています。ちなみに捜査当局や家族弁護士にも言っていません。今後発表する予定もありません。まあ1つくらい秘密が残った方が事件が忘れられない感じになるという気持ちがあります。あんまり気にしないでくださいと言えば逆に気になるでしょうけどそれが狙いなので。 もう1つメディアに対する不満ですが私もこういう事件が起きるまではメディアというのは常に正しい報道をしていると思っていたのですがいろいろ推測や憶測でいろんなことを書かれたり発言されたりしました。最初のころはいろいろと反論を考えていたのですがそのうち面倒くさくなりました。具体的に何があったかということは『何かのために sengoku38 の告白』を読んでいただいたら分かるようになっています。 ハンドルネームの sengoku38 は悪いやつは仙石さんやと京都弁でジョークを言っているのではないですか 一色 ご想像にお任せします。 産経新聞の引用ですが一色さんの行為に対して自民党の谷垣禎一総裁が映像流出を擁護する人もいるが国家の規律を守れないのは間違っているとコメントしています。二二六事件でも将校の若い純粋な気持ちを大事にしないとという声があり最後はコントロールできなくなったと昭和11年のクーデターと対比するようなコメントをしていますがこれについてどうお考えですか また一般論として日本の公務員や外務省自衛隊も含めてですがもし政府が反日的あるいは売国的な政策をやっていると判断した場合はその命令に反しても行動を起こすべきとお考えですか ※二二六事件 軍部の方針に不満を持つ陸軍の皇道派に属する青年将校たちが昭和11年2月26日に起こしたクーデターのこと。岡田啓介首相らを襲った。 一色 まず1つ目の質問ですが機密というのはみなさまがあれを見て機密と感じられるかどうか逆に私のほうから質問したいくらいです(会場笑)。本当に機密であるのなら日本の公共放送各社がみんな私の共犯になってしまいます。 クーデターとおっしゃいましたが政府は転覆されなければいけないような何か悪いことをしているのでしょうか。二二六事件の青年将校と比べられるのはある意味光栄ですが私はご存じの通り一滴の血も流していません。これをもってクーデターと言うのであればちょっと大げさな気がします。 2つ目のご質問ですが公務員がいかにあるべきか。これはいろいろ議論のあるところだと思います。よく言われるのは第二次世界大戦当時ナチスドイツの命令を聞かなければならなかった兵士たちはどういう気持ちだったのかそういうところまで考える必要があると思います。 私が考えていることを人に押し付けることはしたくないので私の個人的な考えだけを申します。私自身はいろいろ考えて政府命令ではありますが本当にこれが国のため国民のためどちらがウエイトが重いかという観点で判断して今回の行動に至りました。 このビデオを流してご本人は当然ですが家族の生活や考え方も変わったと思うのですがそのあたりについてどのように考えられているか教えてください。 一色 まず私の家内のことを話します。当初は非常に驚いていました。しかし私を責めることなく私を信じてついてこいと半ばあきらめたような感じでした。結婚してもう10年近くになるのですが改めてそういう見直せる機会があって良かったと言ったらおかしいのですがそういうことがありました。 子どもに関しては意外と聞き分けが良く(引越しで)友達と別れていったのですが1つ引越しすることによってポケットモンスターというアニメを見られなくなって3日3晩泣かれたことだけがちょっと父親としてふがいなさを感じています。あとは家族4人でおおむね楽しく暮らしています。 一色さんが YouTube に投稿された動画は編集されたものですが編集される前の動画はどんな内容だったのでしょうか 一色 編集されていたというのはある目的で編集されていたんだとは思います。編集前のものがあれば恐らく私はそれを使用したと思いますが残念ながら私の手元にはありませんでした。 残りのビデオの内容についてですがはっきり言って私は知りません。知っていてもこの場でしゃべるとまた身に危険が及ぶので知らないということにしておきます。私が聞いているうわさでは(支那漁船の船長が)激しく抵抗したシーンが映っているという説おとなしく捕まったという説その2つの説を聞いていますが真相は定かではありません。できることならみなさまの力でそれを明らかにしてほしいと思います。 石原慎太郎都知事 2つ質問させていただきます。あなたの愛国的な行動に国民を代表して心からの敬意と感謝を申し上げます。売国奴の集まりのような内閣が愛国者を告訴したり起訴したり告発したりすることができるわけがない。私は国民の声なき声が政府を暗に動かしたと思うのですがあなたが退職するという残念な結果になったことはきわめて遺憾です。1つ目の質問はあなたが自分がもし起訴されたならば見てもらいたいビデオがあるとあるメディアに言われたと聞きますがそれはどういう内容のビデオなのでしょうか 一色 まず都知事にいろいろおっしゃっていただいて返す言葉がなく恐縮します。一応退職というのは私なりに組織のルールを破ったけじめなのでみなさんが考えておられるほど後悔も何もしていません。 ご質問ですが起訴ではなくて逮捕されればビデオが出るという話でした。その内容は1月21日に大阪の讀賣テレビで放映されています。それは私が出頭する前の11月8日にもし逮捕されて私の真の声が届かなければということでインタビューを受けていたものです。 石原慎太郎都知事 尖閣諸島の魚釣島に私が実は最初に灯台を作ったんです。ただ当時の外務省は時期尚早ということで海図に載せませんでした。それだと危険だということで息子が国交大臣になった時に言って灯台が海図に載りました。第2の質問はですね国会議員が国政調査権を使って尖閣諸島に行こうとした時海上保安庁はどこまで協力してもらえますか 有力な元職員として海上保安庁の心構えを確かめさせてください。 一色 まず安全面で1つ付け加えて言っておきたいことがあります。これは領土や領海の問題とは別に現実に数年前あそこで数万トンの貨物船が座礁しています。その時はある意味灯台をもっとたくさん作るチャンスだったのですが残念ながらあまり報道されていませんでした。 都知事のご質問ですが海上保安庁にもいろんな考えがありまして霞が関海上保安本部実際に船に乗る者とでは必ずしも一致していないと思います。これは恐らくではありますが船に乗っている者は間違いなくぜひ協力するという意見で一致していると思います。 もし海上保安庁が協力しないと言うのであれば防衛省というのもあります。ほかにも水産庁何よりも都知事であれば東京都の船がたくさんあると思います(会場笑)。いずれにせよ行く方法はたくさんあると思います。あとは行こうという気持ちだけです。 ● なぜ YouTube に投稿したのか 講演の中で日本と領土問題を抱える国をある国と言って実名を出さなかった理由は また支那が日本を抜いて GDP 2位になったがそれについてどう思うか 日本と支那がうまくやっていくにはどうすればいいか 一色 ある国とあえて言った理由はみなさまの想像力で考えていただければと思います。 GDP に関しては私個人としてはあまり関心はありません。物質的な豊かさだけでなく精神的な豊かさというのがあると思うので2位だとか3位だとかそんなことに感想はありません。 また支那の方にお話しできるのであればぜひ支那政府の方から日本政府に圧力をかけてあのビデオを公開しなさいと言っていただきたいと思います。支那政府は逮捕時に船長が殴られたとかおっしゃっているようなのでぜひ真実が明らかになればいいと思います。 尖閣のビデオを公開したことによってあなたの世界平和についての考え方に変化はありましたか 一色 特に変化はありません。私もペルシャ湾に行った経験から実際の戦争も見ているのでああいう事件が起こったから考えが変わるということはありません。 なぜ YouTube で映像を公開したのですか 一色 YouTube というのは自分1人で最初から最後までできるということが1つのポイントです。メディアに持ち込んでしまうとある程度他人に下駄を預ける形になります。一度それも試しましたがやはりダメだという結論に至りました。 また恐らくテレビ局では44分間流すことは難しかったと思います。あのような形でただ漠然とビデオを流すとそのことによってこれが本物かどうかと客観的な目でいろんなことを考えられると思います。テレビ局だとどうしても解説者がいろいろ解説しますので。見る人見る人で感想が違う考えが違うそれこそがいいのだと思います。 あのビデオを見ても日本の巡視船がぶつかってきたと言う意見もありますし私はその意見に同意はしませんがある意味尊重します。いろいろ理由はまだありますけどそういうわけで結果的にはまあ良かったと思っています。 一色さんの存在が政治的に悪用される危険性についてどのようにお考えですか。また一色さんが政治家になることはありますか 一色 悪用されるというのはおそらく2月9日の出来事をおっしゃっていると思うので事実関係を説明させていただきます。 いろんな新聞などを見ているとちょっと内容が違います。ある議員が私に対する署名の名簿を集めていただいてそれを受け取りに行ったという話が事実です。受け取った場所も国会と書いていますが正しくは議員会館です。 当然私がそこに行くとどんなやつだろうという感じで人が集まってきました。やっぱり集まれば話を聞きたくなるというのが人情だろうと思います。そこで無視して帰るというのもおかしいことなのでただ単にそういう会話を繰り返しただけで報道されているように私が国会議員の方に講演したということはありません。 そういう報道のされ方を見ているとこれはよっぽど自分がしっかりしなければという気にはなります。高名な方々とお会いして先ほどの都知事のように褒め上げていただくのでどうかとすれば有頂天になりそうな感じになりますが事件前の初心を忘れないように自分の足もとをしっかりと見てこれから生きたいと思います。 (政治家になるかと問われて)そういう話は今のところあります。考えることもあります。 YouTube に動画をアップしたからといって必ずしも拡散するわけではないと思います。尖閣の動画は平成22年11月4日の21時ごろアップされ Twitter で最初に言及されたのが24時くらい3時間くらいは見る人がいなかった状態が続いていたと思います。動画の拡散についてどのように考えていらっしゃったのでしょうか また拡散しなかった場合別の方法は考えていましたか 一色 その速さは予想していたより速かったというのが正直な感想です。でも本物ですから1-2週間すれば必ず広がるとは思っていました。万が一失敗した場合については次の策は考えていました。 (次の策について問われて)それは真似をする人が出てきたら困るので言いません。 ウィキリークスについてどうお考えですか また公開していい機密情報と公開してはいけない機密情報の境目はどこにあると思われていますか 一色 ウィキリークスと比べていただくのはありがたいのですがちょっと私とは趣旨というか主義が違うと思います。私も表面上しか知らないのですがウィキリークスはすべての秘密を明らかにせよという主張だと受け止めています。私は政府の側で働いていましたから隠さなければならない機密があるということは理解しています。 その境目については非常に難しいと思います。ただ今回の件はボーダーラインをはるかに超えていたと私が勝手に判断しました。 尖閣海域以外にも領土問題は発生していますがそういった海域の警備につかれた経験があれば教えてください。また日本の国境警備や領土問題のあり方についてどうお考えですか 一色 そういう警備の経験はあります。 それについては先ほども申しましたが海上保安庁の中でもいろいろな意見はあり私は一貫して現場の人間なので現場の意見しか言えません。国を守るというごく当たり前のことなのですが現実は上の方の命令が右往左往することがやっぱり多々ありました。ただ現場としてはそれを忠実に守って余計なことを考えずにやってきました。むしろ今普通の一般の国民に戻った方がいろいろ考えられると思っています。 ● 英雄と言われるのは間違っている 最後に英雄である命をかけて国のためにされたと賞賛した質問者の言葉に英雄と言われるのはちょっと間違っている。命をかけてと言われたが私も命は惜しいと答えた一色氏。 これは先ほどの二二六事件のクーデターという意見の対極の意見だと思います。むしろ当たり前のことと受け止められるように日本がなっていけばいいと思います。恐らく昔は日本人というのはそういう考え方をしていたはずなのですがこれが最近失われているということをちょっと心配していますと回答して会見を締めくくった。 平成二十三年二月十五日午前十時五十三分 平成の二二六事件 一色正春氏が語る尖閣ビデオ事件の真相 日本の病巣 世界の病巣 露西亞平原 本日モ侵略止マス 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 2010年 12月 20日
宮内記者会代表質問 問一 今年は日本人二人のノーベル化学賞受賞など晴れやかなニュースの一方国内では高齢者の所在不明問題対外的には尖閣諸島問題などがありました。この一年を振り返りこうした社会問題や近隣諸国との友好・交流についてお考えをお聞かせ下さい。 天皇陛下 この一年を振り返りますと様々なことがありました。 質問の中で言及された高齢者の所在不明問題は私自身思いも掛けなかったことで驚きました。私はこれまで人々が無事に高齢に達することを喜ばしいことと思っていましたが元気に過ごしていると考えられていた高齢者の中にその生死が分からない状況にある人々がいることが明らかになったことは非常に残念なことでした。高齢化の進む社会にあって高齢者がしっかり守られていくことは極めて大切なことと思います。医療や介護に携わる人々の不足など様々な困難もあることと察せられますが高齢者のために力を尽くす人々が増え人々の老後が安らかに送れるようになっていくことを切に願っています。 今年は台風の上陸が少なく死者を伴うような災害はありませんでしたが梅雨期に各地に大雨が降り死者を伴う災害が起こりました。また十月には鹿児島県の奄美大島をこの地域の人々がこれまで経験したことがないような激しい豪雨が襲い死者を伴う大きな災害をもたらしました。亡くなった人々の家族の悲しみ住む家を失った人々の苦しみに深く思いを致しています。交通や通信が途絶した中でかなりの時間を過ごさなければならなかった島民の不安な気持ちはいかばかりであったかと思います。四十年以上も前に私どもは奄美大島を訪れ当時の名瀬市から山道を通ってこの度大きな災害を受けた当時の住用村に行きました。当時を思い起こすときこのような道路が寸断された山地の多い島で救助活動に当たった人々の苦労がしのばれます。 夏は各地で猛暑が続き多くの高齢者が熱中症で亡くなったことは痛ましいことでした。一人暮らしの高齢者や農作業中の高齢者が熱中症にかかっていることを気付かずにいたために亡くなっている例もあることから熱中症に対する知識を深め皆で健康に気を付けていくことが重要なことと思います。猛暑は農業にも大きな被害をもたらし農業に携わる人々の苦労が察せられます。 農業関係の大きな出来事としては宮崎県で発生した口蹄疫があります。長年にわたって大切に育ててきた牛や豚をことごとく処分しなければならなかった人々の悲しみワクチン接種や殺処分など危険を伴う作業に携わった獣医師始め多くの人々の労苦に深く思いを致すとともにこの被害を他県に及ぼすことなく食い止めた県民の協力を深く多としています。 質問にあるように晴れやかなニュースとしては日本人二名のノーベル化学賞の受賞が挙げられます。授賞式においてお二人がメダルをスウェーデン国王陛下から受けられる様子をテレビのニュースで見て誠にうれしい気持ちを覚えました。年が明けてから両夫妻にお話を聞くのを楽しみにしています。 小惑星探査機はやぶさが小惑星イトカワに着陸し微粒子を持ち帰ったことは誠に喜ばしい今年の快挙でした。一時は行方不明になるなど数々の故障を克服しついに地球に帰還しました。行方不明になっても決して諦めず様々な工夫を重ねついに帰還を果たしたことに深い感動を覚えました。 今年は国際連合が定めた国際生物多様性年に当たりまた生物多様性条約第十回締約国会議が多くの国々の参加者を名古屋市に迎え開催されました。この会議では様々な論議が交わされましたが最終的に各国の同意を得て会議が滞りなく終了したことは喜ばしいことでした。より多くの人々が生物多様性に関心を持つようになった意義ある会議であったと思います。 この生物多様性年も終わりに近い頃日本の淡水魚が一種増えました。それは最近新聞などでも報じられたクニマスのことです。クニマスは田沢湖にだけ生息していましたが昭和の十年代田沢湖の水を発電に利用するとき水量を多くするため酸性の強い川の水を田沢湖に流入させたため絶滅してしまいました。ところがこのクニマスの卵がそれ以前に山梨県の西湖に移植されておりそこで繁殖して今日まで生き延びていたことが今年に入り確認されたのです。本当に奇跡の魚と言ってもよいように思います。クニマスについては私には十二歳の時の思い出があります。この年に私は大島正満博士の著書少年科学物語の中に田沢湖のクニマスは酸性の水の流入によりやがて絶滅するであろうということが書かれてあるのを読みました。そしてそのことは私の心に深く残るものでした。それから六十五年クニマス生存の朗報に接したわけです。このクニマス発見に大きく貢献され近くクニマスについての論文を発表される京都大学中坊教授の業績に深く敬意を表するとともにこの度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々が関わり協力したことをうれしく思います。クニマスの今後についてはこれまで西湖漁業協同組合が西湖を管理してクニマスが今日まで守られてきたことを考えると現在の状況のままクニマスを見守り続けていくことが望ましいように思われます。その一方クニマスが今後絶滅することがないよう危険分散を図ることは是非必要です。 質問にありました近隣諸国との友好交流についてはこれを増進することが極めて重要なことと思っています。尖閣諸島の問題に関しては私の立場としてこれに触れることは差し控えたく思います。 問二 天皇陛下は喜寿のお誕生日を迎えられました。今年陛下は二月にノロウィルスによる急性腸炎六月には風邪で一時体調を崩されました。皇后さまはお誕生日の文書回答の中で加齢によるものらしい現象もよくあり自分でもおかしがったり少し心細がったりしていますと心情をつづられていますが陛下はご自身の加齢や今後お年を重ねられる中でのご公務のあり方についてどのようにお考えでしょうか。 天皇陛下 一昨年の秋から不整脈などによる体の変調があり幾つかの日程を取り消したり延期したりしました。これを機に公務などの負担軽減を図ることになりました。今のところこれ以上大きな負担軽減をするつもりはありません。今年に入ってからも質問にもあったように時に体調を崩し日程の変更をすることがあり心配を掛けました。自動車で道を通っているときによくお大事にと声を掛けられます。多くの人々が私の健康を気遣ってくれていることに深く感謝しています。 加齢のことですが耳がやや遠くなり周囲の人には私に話をするときには少し大きな声で話してくれるように頼んでいます。テレビのニュースなどでアナウンサーの話していることは分かるのですが他の人の会話はかなり字幕に頼ります。アナウンサーがこんなに分かりやすく話してくれているのかということを以前は考えたこともありませんでした。 この夏軽井沢滞在中秋篠宮一家と石尊山に登りました。登りはまあまあでしたが下りは滑りやすく時々後からついてきた秋篠宮や眞子に助けられました。以前登ったときには考えられなかったことです。私も高齢者の一人として私の経験した加齢現象の一端に触れましたが加齢による症状には年齢の若い人にはなかなか想像のしにくいことがたくさんあるのではないかと思います。高齢化が進む今日の社会において高齢者への理解がますます進み高齢者へ十分配慮した建物や町が整備されていくことを切に願っています。 問三 ご家族についてうかがいます。四人のお孫さまとは御所や静養先などでお会いになりご成長ぶりをお感じのことと思います。お孫さまとの交流で感じられたことを具体的なエピソードを交えてお聞かせ下さい。特に皇太子ご夫妻の長女愛子さまは三月以来通常の登校ができず日々通学に付き添われている雅子さまもご公務が十分に行えない状態です。皇太子ご一家の現状についてどのように受けとめられていますか。 天皇陛下 今年は学習院初等科三年になる愛子に登校が難しくなるという思い掛けない問題が起こり心配しています。皇太子皇太子妃の心配も大きいことと案じています。そのようなことから愛子と会う機会も限られ残念ですが交流としてお話しできるようなことはまだありません。皇后は他の孫たち同様愛子をとてもかわいがっており愛子もこちらに来るときには必ず庭の花を摘んできて皇后に手渡しています。先日来たときには飼っている猫の動画を熱心に皇后に見せていました。運動会の映像で見る愛子は昨年と変わらず元気に楽しんでいるようで安堵しています。 眞子は国際基督教大学に入学し学生生活を楽しく過ごしているようでうれしく思っています。夏には海外英語研修プログラムに参加しアイルランドでほぼ四十日間国の異なる人々と生活を共にしています。帰国後写真を見せて丁寧に説明してくれました。将来大学生活を振り返り有意義なときだったと思えるような日々を送ってほしいと願っています。 佳子は学習院女子高等科に進学しました。眞子が高等科在学中毎年出席していた全国高等学校総合文化祭に今年から佳子が秋篠宮同妃に付いて出席することになりました。このような高校生の行事で他の高校の生徒と話し合う機会があることは非常に良いことと思っています。御所で皇太子一家秋篠宮一家が集まり大人同士が話し合っているようなとき佳子はよく愛子や悠仁の面倒を見一緒に遊んでくれます。佳子のこのような気遣いをうれしく思っています。 悠仁はお茶の水女子大学附属幼稚園に入園し楽しく幼稚園生活を送っているようです。虫が好きで秋には生物学研究所や御所の庭に来てバッタやカマキリを捕まえたりしています。果実にも関心があり生物学研究所の葡萄の実が大きくなっていく様子を見たり柿の実を採ったりしています。秋篠宮の誕生日に皇后がその日庭で採ったよい香りのする花梨の実を持って行って悠仁に見せたところ悠仁はその重い実を大事に抱えて行く先々へ持って行く姿がとてもかわいらしく見えました。 皇太子一家の現状については皇太子妃が病気ですのでお答えすることは差し控えたく思います。皇太子妃の公務のことがよく言われますが何よりも健康の回復に心掛けるよう願っています。 関連質問 問 天皇陛下は昨年皇后陛下とカナダハワイを訪問され二週間の旅で友好親善を深められました。今年は外国ご訪問はありませんでしたがお年を召されご負担軽減も進められる中今後の外国ご訪問はこれまで以上に日程的な検討も必要になってくるかと思われます。陛下は今後の外国ご訪問についてどのようなお考えをお持ちでしょうかお聞かせください。 天皇陛下 私の外国訪問についてはよく外国の元首からご招待を頂きますがその時に訪問については政府が検討し決定するということになっていますとお答えしています。ですから外国への訪問についてはこのようなことでそういう場所が決まった場合には力を尽くして意義のある訪問に努めていきたいと思っています。 この一年のご動静 天皇陛下には本年つつがなく喜寿をお迎えになりました。 陛下はこの一年も国事行為としてほぼ毎週二回のご執務を行われ内閣よりの上奏書類等八百八十五件にご署名やご押印をされました。宮殿ではそのほか内閣総理大臣の親任式認証官任命式(国務大臣始め百三十六名)新任外国大使の信任状捧呈式(三十二名)勲章親授式(大綬章文化勲章)及び勲章受章者の拝謁などの儀式や行事に臨まれました。また各省事務次官日銀総裁などのご進講も受けられました。また皇后陛下とご一緒に各界優績者の拝謁のほか午餐や茶会など多くの行事に臨まれました。今年はバンクーバーにて冬季オリンピック競技大会及び冬季パラリンピック競技大会が行われたためそれぞれの入賞者をお茶に招かれ健闘をたたえられました。御所では両陛下で恒例の日本学士院会員日本芸術院会員文部科学省研究振興局長ほか青年海外協力隊帰国隊員及び青年シニアの海外ボランティア代表国際交流基金賞受賞者などとお会いになったほか定例の外務省総合外交政策局長によるご進講や各種行事に関するご説明などが合わせて四十七回ありました。このほか勤労奉仕団賢所奉仕団や新嘗祭のための献穀者に対し五十四回のご会釈がありました。 今年は外国へのご訪問はありませんでしたが来日した大勢の外国の賓客を宮殿や御所で接遇されました。宮殿では五月にカンボジア国国王陛下を国賓として迎えられ宮中晩餐を催されました。そのほか公式実務訪問で来日したメキシコ国大統領夫妻ラオス国国家主席夫妻ルーマニア国大統領夫妻ガーナ国大統領モンゴル国大統領夫妻ボリビア国大統領のため午餐を催されました。また来日した東ティモール国アフガニスタン国エクアドル国ボツワナ国グアテマラ国ジブチ国の各大統領ガボン国大統領夫妻及びブルネイ国国王陛下とご会見になりました。そのほかポーランド国上院議長マレーシア国首相夫妻欧州理事会議長夫妻及び欧州委員会委員長スウェーデン国国会議長ラオス国国民議会議長夫妻中華人民共和国国務院総理スペイン国首相トルコ国大国民議会議長インド国首相夫妻バングラデシュ国首相をご引見になりました。新任の外国大使夫妻を招かれてのお茶日本滞在が三年を超える外国大使夫妻のための午餐離任する大使夫妻のご引見は例年どおり行われました。一方日本から外国に赴任する大使夫妻にも皇后陛下と共にお会いになっておりまた赴任先から帰国した大使夫妻をお茶に招かれて、任地の話をお聞きになりました。御所ではヨルダン国国王陛下と王族方オランダ国皇太子殿下タイ国王女シリントン殿下同国王女チュラポン殿下モナコ国アルベール二世公殿下と同婚約者をご昼餐ご夕餐に招かれました。またアジア太平洋経済協力首脳会議のため来日したカナダ国首相夫妻をご夕餐にお招きになり昨年同国ご訪問時の接遇に謝意を表されました。 都内及び近郊へのお出ましとしては陛下は国会開会式に臨まれまた両陛下にて全国戦没者追悼式を始め毎年ご臨席になっている日本国際賞国際生物学賞日本芸術院賞日本学士院賞などの授賞式のほか今年も数多く行われた各種周年記念式典などへのご臨席があり節目の年の式典ではお言葉を述べられました。今年も五月のこどもの日九月の敬老の日のほか十二月の障害者週間それぞれにちなんで関連施設をご訪問になり関係者を励まされました。また六月には産業施設のご視察として微細製造技術を有する医療用器具の製造会社に行幸になり産業奨励のご意向を示されました。都内及び近郊へのお出ましは合計四十五回ありました。 例年ご臨席になっている日本学術会議主催の国際会議としては三月に(平成二十一年度分)京都府で行われた第十四回国際内分泌学会議オープニングセレモニー及びレセプションにまた八月には(平成二十二年度分)茨城県で行われた第二十一回国際純正応用化学連合化学熱力学国際会議開会式及びレセプションにご臨席になりました。 今年の公的な地方行幸啓は九府県(京都神奈川静岡岐阜愛知茨城千葉奈良埼玉)にわたりました。全国植樹祭(神奈川)全国豊かな海づくり大会(岐阜)国民体育大会(千葉)などの式典にご臨席になり併せて地方の文化福祉産業の事情をご視察になりました。今年は平城遷都千三百年に当たり奈良市での記念祝典にご臨席になるとともに地方事情をご視察になりました。その折に平城京最初の元明天皇及び最後の光仁天皇の御陵にご参拝になったほかご由緒寺院などをご訪問になりました。この一年に公的に地方行幸啓先でご訪問になった市町村数は二十九市五町一村になります。 今年は須崎御用邸に四月上旬にお出ましになりましたがその途次真鶴町(神奈川県)の魚つき保安林や伊東市(静岡県)の里山「池のさと」をご散策になりました。また七月に那須御用邸にお出ましになり例年どおり農家をご訪問されたほか一昨年環境省に移管された旧那須御用邸用地を那須自然保護官と共にご散策になり自然を楽しまれました。 宮中祭祀は陛下は恒例の祭典のほか東山天皇三百年式年祭反正天皇千六百年式年祭孝安天皇二千三百年式年祭應神天皇千七百年式年祭などこの一年に執り行われた二十八回の祭典に列せられました。なお昨年より新嘗祭は夕の儀は従来どおり出御になり暁の儀は時間を限ってお出ましになっておりまた毎月一日の旬祭は五月と十月以外はご代拝により行われています。 日本産魚類検索全種の同定には陛下はその第一版(平成五年)からハゼ類の項目に関わってこられましたがこの度その第三版の改訂が行われることになり皇居内生物学研究所で月に三回ほど編集者の中坊徹次京都大学教授と生物学研究所の職員らを交えてハゼの分類の検討を行っていらっしゃいます。月に一度国立科学博物館分館で開催されます魚類分類研究会に今年は六回お出ましになっています。また二月には国立科学博物館で開催された天皇陛下御即位二十年記念展示ハゼの世界とその多様性を皇后陛下とご一緒にご覧になりました。 陛下は今年も例年どおり皇居内生物学研究所の田で種籾のお手まきお田植えをなさりお手刈りをなさいました。また粟はお孫様方とご一緒に種をまかれ刈り取られ新嘗祭の折お手刈りになった水稲と共にその一部をお供えになりました。また神嘗祭に際してはお手植えになった根付きの稲を神宮にお供えになりました。 陛下は平成十五年の前立腺癌のご手術後再発に対するご治療としてお続けいただいているホルモン療法の副作用として骨密度の低下による骨粗鬆症発症の予防を始めご健康維持のためご運動に努めていらっしゃいます。早朝には御所の近くをまた日曜日の朝には東御苑をご散策になりご公務のない週末や休日にはテニスなどのご運動に努めていらっしゃいます。二月初めに急性腸炎様のご症状がみられ検査の結果ノロウイルスによる急性腸炎と診断されました。また六月葉山御用邸にご滞在中発熱など感冒のご症状があり大事を取って御用邸からのお出ましを一部お取りやめになりました。 天皇陛下は十二月二十三日七十七歳のお誕生日をお迎えになります。 当日は午前九時に賢所における天長祭の儀のご拝礼をお済ませの後宮殿で皇族方を始めとし五回にわたり祝賀をお受けになりまた皇族方とお祝酒を共にされます。なおこの間三回にわたり長和殿ベランダに立たれ国民の参賀にお応えになります。午後は三権の長閣僚各界の代表者などとの宴会に臨まれた後元側近奉仕者などとの茶会次いで外交団を招かれての茶会に臨まれます。その後御所に戻られ侍従職職員からの祝賀をお受けになり夕方にはこの日最後の行事であるご進講者ご関係者との茶会に臨まれ非公式にお孫様方のご挨拶を受けられた後皇后様お子様方ご夫妻とお祝御膳をおとりになります。 平成二十二年十二月二十日 天皇陛下お誕生日に際し 2010年 11月 19日
新潟市が進めてきた支那政府への市有地約1万5千平方メートルの売却計画が沖縄県尖閣諸島周辺での支那漁船衝突事件をきっかけにした地元住民らの強い反発などを受けて暗礁に乗り上げた。支那側は国の予算措置の関係で希望していた年内売却は見送られる。ただ同市は「計画そのものがなくなったわけではない」(幹部)としており引き続き市民に理解を求め計画を進める構えだ。 支那側は今年8月駐新潟総領事館の移転先候補地として新潟市中央区東万代町の旧万代小学校跡地約1万5千平方メートルの買収を新潟市に打診した。市側は9月15日篠田昭市長が議会に支那側から土地買収の打診があったことを説明。これと並行して市は9月101621日と3回にわたって地元説明会も開催した。地元には「総領事館ができれば街が活性化する」といった歓迎の声もあり市は当初「反対しているのはごく一部」(首脳)と楽観視していた。 しかし市側が地元に十分な説明をする前に売却予定地の測量に着手したことや尖閣衝突事件その後の日支関係のこじれで領事館移転への反発は強まるばかり。このため市は「年内の土地売却は難しい」と判断し18日に「現下の日支間の国際情勢に鑑みしばらく状況を見守る。市民の理解なしには売却はできない」との見解を支那側に伝えたという。 支那は今年6月日本で6カ所目の総領事館を同区万代島のビル内に開設し10月25日に同区西大畑町に移転したばかり。再移転をめぐる産経新聞の取材に対して支那駐新潟総領事館は「大使館領事館が駐在地に公館を建設することは国際的な慣例であり基本的な権利である。総領事館の業務展開館員生活上の必要性から新潟市内で土地購入恒久的な公館の建設を希望している」との見解を示した。 一方支那側は駐新潟総領事館の開設にあわせて王華総領事が新潟県の泉田裕彦知事に「支那街」構想を提案。単なる支那料理店街ではなく文化センターなどの支那に関する情報発信拠点を含めた街づくりを目指す向きもあるとされる。新潟市の中心市街地「古町」(中央区)の活性化策として支那街を誘致する動きも活発化してきた。 この支那街構想とセットになってインターネット上では支那への土地売却に対する批判が交錯。またジャーナリストの櫻井よしこさんは週刊新潮(11月11日号)の連載コラムで「いま支那に最も狙われている県は新潟県だといってよいだろう」「支那の異常な拡大路線の前に日本がとりわけ新潟県が国土や富を奪われないよう最大限警戒しなければならない」などと警鐘を鳴らしている。 平成二十二年十一月十九日午前一時三十五分 支那への土地売却計画が座礁 総領事館移転に市民が反発 支那大陸 本日モ反省ノ色無シ 朝鮮半島 本日モ波高シ 露西亞平原 本日モ侵略止マス 日本の病巣 世界の病巣 2010年 11月 16日
幾多の困難を乗り越えて小惑星イトカワに到着今年6月に地球に帰還した探査機はやぶさは全国各地で展示会を開けば行列ができ関連グッズも続々発売ことしの新語流行語大賞の候補にも選ばれるなど日本の宇宙開発史上かつてない人気者になった。 帰還したはやぶさのカプセルや関連部品が初めて一般公開された相模原市博物館には初日だけで約1万3千人が殺到した。その後も全国各地で展示会が開かれ平成24年3月までロングラン公開される予定。 打ち上げから7年間約45億キロにおよぶ宇宙の旅をたどる映画も各地で上映中。地域によっては年明けまで期間が延長され好評を博している。はやぶさを名前に冠したぬいぐるみやTシャツプラモデルお酒など次々とお目見え。はやぶさを少女に擬人化したフィギュアはやぶさたんも登場している。 平成二十二年十一月十六日午後零時二十分 はやぶさ人気空前 展示会は行列 流行語にも 2010年 11月 16日
はやぶさは小惑星イトカワの物質を持ち帰っていた。数々のトラブルを乗り越えて地球への帰還を成し遂げた宇宙航空研究開発機構のはやぶさチームにとっても最高の成果といえるだろう。人類が初めて直接入手した小惑星の物質からは46億年前の太陽系誕生当時にまで迫ることができる。 イトカワの岩石は太陽系が誕生したころに形成され浸食や地殻変動などの影響を受けずに当時の状態をよく保っているとされる。太陽系の惑星は無数の小惑星がもとになっておりイトカワの試料を調べれば地球などを構成する物質の初期状態がわかる。 イトカワ由来と判明した微粒子は2回目の着陸時に使用した試料保管容器の一部に付着していた。残りの部分や1回目の着陸で使った保管容器は手つかずで試料はさらに増える可能性が高い。詳細な分析が進めば太陽系への理解は大きく深まるだろう。 はやぶさチームは高い理想を掲げて世界一の試料回収技術を実証した。その技術をさらに確実なものにする必要がある。宇宙航空研究開発機構は後継機はやぶさ2で生命の元になる有機物を多く含む小惑星を目指す。生命の起源への挑戦だ。速やかな実現が期待される。 平成二十二年十一月十六日午前九時二十九分 はやぶさ 人類初めての入手 太陽系誕生の解明に迫る 2010年 11月 16日
今年6月に帰還した小惑星探査機はやぶさが小惑星イトカワから持ち帰ったカプセル内部で確認された微粒子について宇宙航空研究開発機構は16日ほぼ全部がイトカワ由来の物質と判断したと発表した。地球から約3億キロ離れた小惑星イトカワで地表物質を捕らえたことになり人類が月より遠い天体から地表物質の回収に成功したのは初めて。太陽系の起源解明につながる貴重な試料ではやぶさ計画は最大の目的を達成した。 はやぶさは平成17年11月イトカワに2回着陸した。装置の不具合などで計画通りの試料採取は1度もできなかったが着陸時の衝撃で舞い上がった砂ぼこりなどをカプセルに収めていたと考えられる。 宇宙航空研究開発機構は回収したカプセルを開封し約1500個の微粒子を確認していた。ほとんどが大きさが100分の1ミリ以下で今月上旬からは電子顕微鏡を使って1粒ずつ組成分析を実施。その結果微粒子の大半はカンラン石と輝石でどの粒も鉄とマグネシウムの割合(組成比)が地球の物質とは大きく異なることが判明した。 さらにはやぶさによるイトカワ地表の分光観測データなどが微粒子の分析結果とほぼ一致した。宇宙航空研究開発機構ははやぶさチーム以外の専門家をまじえて検討を重ね微粒子のほぼすべてが地球外物質でイトカワに由来すると判断した。 宇宙航空研究開発機構はこれまで電子顕微鏡による組成分析ではイトカワ由来と判断するのは難しいとしてより詳細な分析を経て結論を出す方針だった。上野宗孝宇宙航空研究開発機構ミッション機器系副グループ長は12個だけでは組成比から由来を断定できない。だが大量の微粒子がそろってイトカワ由来の傾向を示したので科学的にも間違いない。簡易分析でこれほどはっきりした結果が出るとは予想していなかったと話した。 今回の微粒子は2回目の着陸で用いた試料保管容器で見つかった。宇宙航空研究開発機構は今後1回目の着陸で用いた試料保管容器も開封し来年1月以降にはより詳細な分析を行う。 小惑星の岩石は太陽系初期の状態が保存されていると考えられる。イトカワの微粒子により太陽系の起源や惑星進化の解明に向けた研究の大きな進展が期待される。 平成二十二年十一月十六日午前九時二十七分 はやぶさ快挙 微粒子は小惑星イトカワの物質と確認 2010年 10月 31日
思いをつなぐ歌の力 大曲の花火(全国花火競技大会)のフィナーレ。尺玉30連発で流れるのはシンガーソングライター津雲優さん(57)=秋田市=の「いざないの街」だ。秋田を宣伝しようと昭和58年に作ったこの歌には県民歌が2番まで挿入されている。 花火と県民歌の組み合わせは演出担当の佐藤紘二さん(69)=現大会審査委員大仙市=の発案だった。以前に中学生が演奏する「大いなる秋田」を聴き県民歌を「おれの古里は秋田なんだと胸を張れる歌だと思った」という。演奏を編集して60回記念大会(昭和61年)の大会提供花火で使いその2年後からは津雲さんの歌をフィナーレで流している。 大曲の花火は全国にテレビ中継されており背景で流れる津雲さんの歌は県民歌ファンの掘り起こしに一役買っている。 秋田若杉国体(平成19年)式典専門委員長だった大友康二さん(80)=元県生涯学習センター所長秋田市=は「入場行進に『県民歌』と『県民の歌』のどちらを使うか委員会に諮ったら圧倒的に県民歌がいいとなった。学校の授業で必ずしも教えているわけではないが一般の認知度は県民歌が上回っているようだ。 著書「歌う国民」(中公新書)の中で県民歌の復活劇を取り上げた渡辺裕さん(57)=東大大学院教授文化資源学=は県民歌は戦前文化を再評価する動きの中でよみがえったと分析。 今戦後世代が歌いながら一体感を得ていることに渡辺さんは「一般的に人々の帰属意識の範囲が狭まりつつある中この歌があることで秋田県民という共通意識がつなぎ止められている面もあるのではないか」と話す。 聞こえてくる県民歌はつながりを求める歌声ということなのだろう。 平成二十二年十月三十一日 誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代 2010年 10月 30日
発見 戦後派も揺さぶられ 「大いなる秋田」の中では演奏のみの県民歌だったが初演から2年後の昭和45年6月県民会館で行われた東京交響楽団の演奏会で初めて歌われることになる。そこには戦前世代の強い意志が働いていた。 同交響楽団を指揮した佐藤菊夫さん(80)=秋田市生まれ東京都世田谷区=は「私自身土崎小学校時代に県民歌を繰り返し歌い体に染み込んでいました。成田為三のあのメロディーは歌わなければ生きない。その思いで混声合唱に編曲しました」と語る。 演奏会に合唱団「カンパネラコール」を率いて出演編曲にも加わった伊藤由雄さん(80)=秋田市土崎港=も「初演時から県民歌を歌いたいなあと思っていました。私たち戦前戦中派にとっては郷愁が強かったから」と振り返る。 県民歌復活を望む声はそれ以前からあった。本県の音楽指導の中心にいた小野崎晋三・秋田大教授(故人)が県の「広報秋田」(昭和39年1月号)に「この一流人の作になる県民歌の復活を望み諸会合や教育の場でも歌われることを望んでやまない」と書いている。 初演当時教職員組合の大曲仙北支部長だった細谷昭雄さん(83)=大仙市神宮寺=は「歌うことに躊躇していたなんてまったく意外です。県民歌は戦争とは関係無いし名曲ですもの。もめ事の種になりそうなことは避けたかったということじゃないですか」と話す。 2番までの合唱付きで演奏された「大いなる秋田」は昭和46年5月には東京文化会館で佐藤さんの指揮で再演され在京の県人たちを感動させた。以来佐藤さんは首都圏での定期コンサートでほぼ5年に一度「大いなる秋田」を演奏している。 こうやって県民歌の封印は解かれた。県内では初演から数年間県主催で「大いなる秋田」演奏会が中学や高校の吹奏楽部合唱団が参加して各地で開かれた。戦後世代はこの曲を通じて県民歌を初めて知ることになった。 初演時高校の音楽教師として練習に立ち会った島森道邦さん(68)=大仙市角間川=は「出だしのユーフォニウム(金管楽器の一つ)の音が流れたときこの色合いの違うメロディーを石井歓さんはどこから引っ張ってきたのだろうと思いました。それが県民歌で成田為三の曲だとこの時に知りました。懐かしさや貴重さを別にして初めて聞いた者にも訴えるものがあった。成田という作曲者の力量なのでしょう」と話す。 平成二十二年十月三十日 誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代 # by unkotamezou | 2010-10-30 00:55
2010年 10月 29日
復活 「明治百年」が契機に 終戦から1カ月後の昭和20年9月19日国連軍が秋田に占領軍政部教育課による教育の管理が始まった。22年に赴任したモロニー課長の検閲は徹底していたという。 この年に秋田師範を卒業中学教諭となった高橋武三さん(83)=大仙市後に大曲市教育長=は「モロニーはいきなり学校に来て検閲を始めたそうです。県民歌は(国学者の平田篤胤や錦の御旗などを歌った)3番の歌詞はもちろん1番の『神秘(の十和田)』という言葉までが引っ掛かったと聞いています」と話す。 戦前戦中の学校では校歌とともに行事のたびに歌われていた県民歌は教育の場から消し去られた。昭和34年には「朝あけ雲の 色はえて」で始まる新しい「県民の歌」が詞曲とも公募によって決定。戦後世代が県民歌を聞く機会はなくなった。 それが昭和43年の明治百年記念事業の中で復活する。きっかけは小畑勇二郎知事(当時)の一言だった。 県教育庁は記念事業として「合唱と吹奏楽による新しい楽曲をつくる」と決めた。秋田市山王中学校の吹奏楽や秋田南中学校の合唱など本県の実力は全国級だった。作曲は父親が秋田出身の石井歓氏(当時桐朋学園大学作曲科教授昨年11月死去)に依頼することになった。 同年3月同庁指導課の音楽担当指導主事だった高橋さんは課長の伊藤浩太郎さん(後に大曲市助役ことし1月死去)とともに都内の石井邸を訪ねて作曲を依頼した。その時に伝えたのは「県民の歌」はぜひ組み入れてほしいということだった。 同年6月には石井氏が来県して小畑知事らと懇談。この時「知事が『戦前の県民歌があってこれを何とかして残したい』と話すと石井さんは『どんな曲ですか』と尋ね楽譜を見せると『なんとかしましょう』と言ってくれた。知事にも思い入れがあったのでしょう」(高橋さん) 完成した「大いなる秋田」には第3楽章に「県民歌」第4楽章に「県民の歌」が挿入されていた。ただし県民歌は演奏のみとした。安保反対運動など左翼勢力が強い時代である。 「大いなる秋田」は同年11月10日新築の県立体育館で中学や高校などの選抜メンバーによって演奏された。前日のリハーサルがレコードとなりジャケットの解説文には歌われなかった県民歌の歌詞が印刷されている。ただし差し障りがないと思われる2番の歌詞(「廻らす山山霊気をこめて」)のみだった。 平成二十二年十月二十九日 誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代 2010年 10月 28日
似通う歌詞(下) 郷土愛は変わったか 東京音楽学校に県が制作を依頼した県民歌は倉田政嗣の詞に高野辰之が手を入れ成田為三が曲を付けて完成。昭和5年10月30日県記念館(現在の県民会館の場所にあった)で開かれた教育勅語発布40年記念式で参列者が合唱した。 高野は「故郷」などの小学唱歌を多く作詞した国文学者で東京音楽学校教授も務めた。成田は「浜辺の歌」で知られる北秋田郡米内沢村(現北秋田市)生まれの作曲家で同校卒業生。ドイツ留学も経験していた。倉田と成田は秋田師範の同期生でもあった。 「山も湖もきれいで立派な学者も生んで。県民歌は新沢小学校(現由利本荘市下川大内小)の音楽の時間に教わりました。いい歌だと思いましたよ。あの時代は郷土愛がそのまま愛国心につながっていました」と話すのは秋田の近現代史に詳しい田口勝一郎さん(87)=県歴史研究者研究団体協議会顧問。 田口さんが秋田師範学校に入学したのは昭和12年。秋田市保戸野にあった校舎2階の一室には土器や古文書などが展示されていた。県民歌の歌詞を審査した和田喜八郎が校長時代に開いた郷土室である。 歴史や文化偉人を知ることで郷土を愛しその発展に寄与できる人材を育てようというのが昭和初期に盛り上がった郷土教育運動だ。その中心に和田がいた。 田口さんは「師範学校の郷土室で歴史に興味を持ち私も大正寺小学校(秋田市雄和)の校長となったとき郷土室をつくりました。自分たちの先祖がどう生きてきたかを考えてみようという郷土学習の手掛かりにするためです」と語る。 平成二十二年十月二十八日 誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代 2010年 10月 27日
似通う歌詞(上) 戦前の姿が鮮やかに 県民歌は教育勅語の発布40年記念事業の一つだった。県が歌詞を公募し入選の5編を東京音楽学校(東京芸大の前身)に送って作曲を依頼した。歌詞の条件は「郷土愛を高調し県民意気を鼓舞」する内容であること。5編が昭和5年10月10日付の県報に載っている。 入選者のうち3等の倉田政嗣(まさつぐ)(仙北郡横沢村現大仙市)は小学校教員を病気退職して療養中の身。佳作の1編は花岡尋常高等小学校(北秋田郡花岡村現大館市)名での応募だった。 どちらも歌詞は4番まであり鳥海山や男鹿半島十和田湖などの名勝地を並べ鉱山や杉米など資源の豊かさを歌う。戊辰戦争で「錦の御旗」(官軍の旗)を掲げて戦ったことも誇る。花岡小の「平田佐藤の二柱」とは秋田が生んだ江戸時代の学者平田篤胤と佐藤信淵を指す。 元花岡小学校教諭で県歴史教育者協議会の富樫康雄さん(75)=大館市=は二つの歌詞を見比べて「郷土愛を喚起するというのであればおのずと似た歌詞になるということでしょうか。当時の花岡小には後に教育長や学校長になる青年教師がそろっています。学校を盛り上げようという彼らの気概が一致して歌詞の応募になったのかもしれません」と話す。 この2編だけでなく入選歌詞5編に盛り込まれた風物や歴史は重なり合うところが多い。当時の秋田魁新報によれば応募した41人の多くは小学校の教員だった。 歌詞を審査したのは教員養成学校である秋田師範学校や女子師範の教諭旧制秋田中学の教諭県の社会教育主事ら6人。筆頭は秋田師範校長の和田喜八郎だった。 北秋田郡鷹巣村(現北秋田市)生まれの和田は秋田師範教諭だった明治33年に「秋田県唱歌」を作詞している。「汽笛一声 新橋を」で知られる鉄道唱歌にならって秋田県内一円の名所旧跡を盛り込んだ歌詞は66番まであったという。 「日本海を西にうけ 御物米代子吉川 三つの流れの潤いも 広くゆたけき秋田県」「秋田神社にぬかづきて いさお仰ぐや佐竹侯 招魂社には国のため 忠死の人をしのぶかな」「西にほどなき町ぞこれ 世にも名高き農学者 信淵翁の生まれたる 西馬音内てうところなる」 この時期全国各地で同じような唱歌が作られている。地理や歴史の知識を歌うことで子どもたちに身に付けさせようという意図があった。 秋田県唱歌の内容は教師たちにとって必須の知識でもあっただろう。県民歌の歌詞とも通じ合う。 平成二十二年十月二十七日 誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代 2010年 10月 26日
「郷土愛の高調」を目的に県民歌が誕生したのは八十年前の昭和五年十月三十日。戦後の一時期に封印され四十余年前に劇的に復活した。そんな歴史とは関係なく今は新鮮な思いで聞く世代もいる。県民歌の歩みをたどってみよう。 [一体感] 「郷土チーム」を演出 本県初のプロバスケットボールチーム秋田ノーザンハピネッツの開幕戦が行われた今月十六日試合に先立って会場の県立体育館(秋田市)に混声合唱による秋田県民歌が流れた。 「秀麗無比なる鳥海山よ」で始まる格調高い歌詞と重厚なメロディーは華やかな雰囲気を一瞬だが引き締めた。「この歌って何」ときょとんとする人もいた。 チームを運営する秋田プロバスケットボールクラブ社の社長水野勇気さん(二十七)は「おらがまちのチームなんだと思ってもらうには県民歌を合唱するのがいいと以前から考えていました。秋田への郷土愛や誇りを喚起し元気につなげたいという気持ちでチームを立ち上げたのですから」と話す。 生まれも育ちも東京の水野さんが県民歌の存在を知ったのは二年ほど前。プロバスケへの理解を求めて首都圏の県人会に顔を出していると最後は決まって県民歌の合唱になる。歌詞を知り皆が声を合わせて歌えることを「いいなあ」と思ったという。 「大リーグの試合では国歌やゴッドブレスアメリカを歌うでしょ。あれは『自分は米国人なんだ』と意識させる機会なんですよね。米同時多発テロのころ米国で生活していたのでよけいに愛国心の高まりを見せつけられました」(水野さん) 秋田大教育文化学部准教授の佐川馨さん(五十)=音楽教育=は「県民歌は典型的な校歌と同じようにドレミの七音階からファとシを抜いた日本の伝統的な音階を基本にしています。それだけ日本人には歌いやすい」と話す。野球の応援で校歌を合唱するように県民歌は合唱することで一体感が得られるという。 ハピネッツの開幕戦で県民歌を指揮したのは秋田の歌を歌い継ごうと今年五月に発足した非営利法人「秋田歌の繋がり」の理事長で元高校の音楽教諭川口洋一郎さん(六十二)=秋田市。この日の合唱団二十六人も同法人の活動に参加している。 川口さんは「出演依頼を受けたとき若い世代に県民歌を知ってもらう良い機会だと思いました。プロバスケットの試合なら演奏会とは客層が違うでしょうから。どのような形であってもまずは歌ってもらわなくては残らない」と話す。 個人で歌詞を大量印刷してホテルに配ったり振りを付けて普及させようという人たちもいて県民歌はちょっとした流行りである。 平成二十二年十月二十六日 誕生80年秀麗無比なる 県民歌の時代 2010年 08月 25日
年々一万以上内地に移入する朝鮮人労働者の取締保護については政府当局に於てもすくなからず苦心している処であるがこれ等移入者の大多数は確実なる目当てもなく唯漫然と渡来するのであるから従って就職難の為に生活に窮しとどの詰りは悪事を働き或は思想的に悪化するなど現在十五万の鮮人には当局も手を焼いている状態にあるので最近北端における鮮人圧迫問題の対策を樹立すると共に内地移入鮮人の取締保護の見地からこれが対策を考究する必要がありとし目下内務省社会局は主として職業紹介関係当事者において朝鮮総督府等との間に協議を重ねているが大体の根本方針は移入者の殆ど全部が就職に渡来する労働者である為に彼等の職業紹介に一段の力をなすべく左の如きものが決議されている 即ち人口食糧問題解決の見地から将来有望視されている朝鮮の拓殖計画の一策として今後は朝鮮内地において干拓事業水田灌漑工事等を起こしそれに成る可容する事に努め内地移入者は目当の確実なる者に限ってこれを許し何等のたよりなく漫然と渡航する者を防止する事になり現在すでに内地に移住している者又は新に移住する者に対しては全国的に職業紹介所が連絡をとって能う限り就職を斡旋する事としこれが積極的方法として鮮人専門の方面に対して求人口の開拓に努めるはずである しかして現在これ等労働者の出稼地は大阪福岡東京神戸が最も多くこの外鉱山等の所在府県を初め全国至る処に分布し内地人に比して賃銀その他の点において割合いいので事業主側はこれを非常に歓迎している模様である 京城日報 昭和三年四月二十六日 朝鮮人労働者の為積極的保護対策 主として職業の紹介 2010年 08月 23日
日韓両国が領有権を主張する竹島問題で韓国側の領有の根拠の一つを覆す17世紀末ごろの朝鮮の木版印刷の古地図が神戸市立博物館で見つかっていたことが22日分かった。韓国側は当時竹島が「子山(于山)」と呼ばれこの時期に朝鮮国漁民が「子山は朝鮮の領土」と鳥取藩に主張し認められたという記録があることを有力な根拠としている。ところがこの地図の子山は実際の竹島と方角も距離も違う位置に記載されており別の島の可能性が高いという。 見つかったのは「地図」と題された朝鮮の地図帳の中の「江原道図」。記載の地名から1684~1767年の間に朝鮮半島で流通したとみられる。 地図では朝鮮半島の東側にある鬱陵島のすぐ南側に「子山」という島が描かれている。実際の竹島の位置は鬱陵島の南東92キロにあり位置も方角も異なる。 子山が問題になるのは1696年に朝鮮国の漁民安龍福が日本に密航した際自身が所持する朝鮮図に鬱陵島と子山島が記載されていると供述した記録が島根県隠岐の「村上家文書」にあるからだ。 安龍福は鳥取藩によって追放送還された後の取り調べで自ら鳥取藩主と交渉して「松島(現在の竹島)は即ち子山島此れ亦我国の地(子山島は朝鮮領)」と認めさせたと朝鮮側に証言したとされる。 このため竹島問題が持ち上がった後年には韓国で領有権を日本に認めさせた「英雄」とされている。 朝鮮でこれまで見つかった古地図は鬱陵島近くの東や西に「子山」の「子」の字が変化したとみられる「于山」という島が描かれており日本側は于山は竹島ではないとしていた。しかしこの古地図は安龍福の時代ではないことが問題点の一つだった。だが今回の地図は安龍福の生きた時代でその地図の記載から安龍福が実際の竹島ではない島を自国領と主張したことを示す可能性が高いという。 島根県竹島問題研究会の杉原隆副座長は「子山島の位置が竹島の領有権の根拠にはなり得ないものであることが改めて明らかになった」と話している。 平成22年8月23日午前6時29分 韓国主張 覆す古地図 竹島問題 2010年 08月 10日
米西部ユタ州シーダーシティー近郊の高速道路で9日午後6時40分(日本時間10日午前9時40分)ごろ、日本人観光客14人を乗せた小型バスが中央分離帯に衝突し、地元警察当局者によると3人が死亡、運転手を含む12人が重軽傷を負った。 同当局者によると、死亡したのは大人2人と子ども1人。地元メディアは、2人が車外に投げ出され、1人は車内で見つかったと伝えている。負傷者はソルトレークシティーなど3カ所の病院に収容されたが、うち数人はけがの程度が重いという。 一行は日本旅行、近畿日本ツーリスト、HISの3社が企画した峡谷ツアーに参加し、滞在先のネバダ州ラスベガスから北東に300キロ強離れたブライスキャニオン国立公園に向かっていた。 現場は見通しのよい直線道路で、バスは横転して大破。衝撃で複数のツアー客が車外に投げ出されたという。当局はスピードの出し過ぎの可能性もあるとみて原因を詳しく調べている。 日本旅行によると、同社から参加した8人のうち、大阪府の男性(20)の死亡が確認された。近畿日本ツーリストからは2人が参加し、男性が骨折の重傷を負ったという。 平成22年8月10日(火)午後6時3分 小型バス横転、日本人3人死亡 峡谷ツアー参加、12人重軽傷 米ユタ州 2010年 08月 06日
アラブ首長国連邦(UAE)の国営首長国通信は6日、沿岸警備隊スポークスマンの話として、中東のホルムズ海峡で7月28日、航行中の商船三井の原油タンカー「M・STAR」の船体右舷が損傷したのは、爆発物を積んだ船舶によるテロ攻撃が原因だったと報じた。損傷状況に関する調査で手製爆弾の残骸が見つかった。 同タンカーをめぐっては先に、国際テロ組織アルカイダ系のアブドラ・アッザム旅団を名乗るイスラム過激組織が自爆攻撃を行ったとの声明を出したが、証拠は示されず、一部専門家から声明の信憑性を疑問視する声が上がっていた。UAE当局がテロと断定したことで、原油輸送の大動脈であるホルムズ海峡を通過するタンカーの警備体制強化などが迫られそうだ。 同通信は沿岸警備隊スポークスマンの話として、「専門家チームによる検証でタンカーがテロ攻撃の対象となったことが確認された」と報道。フジャイラ港に入港した船体を調査したUAEの爆発物専門家が右舷にできたくぼみから採取したサンプルを分析したほか、船体から爆発物の残骸が見つかり、テロ攻撃と結論付けられた。 平成22年8月6日午後7時3分 日本タンカーへのテロと断定 船体から爆発物残骸 UAE 2010年 08月 04日
大相撲名古屋場所で史上初の3場所連続15戦全勝優勝を果たし、連勝記録を昭和以降で単独3位の「47」に伸ばした横綱白鵬(25)が3日、天皇陛下から書簡でねぎらいとお祝いの言葉を送られた。同場所では、日本相撲協会が野球賭博問題などをふまえて天皇賜杯などすべての表彰を辞退。千秋楽には賜杯を抱けずに土俵上で涙を流した横綱にとって、最高のお心遣いを頂いた格好だ。 ようやく努力が報われた。一連の賭博問題などで場所前にすべての表彰の辞退が決まって以来、誰よりも天皇賜杯へのこだわりを見せていた白鵬は、陛下からのお祝いの言葉を頂き「これ以上のものはありません。心から喜んでおります。光栄でございます」と満面の笑みを浮かべた。 宮内庁によれば、天皇陛下が優勝力士へ書簡でお気持ちを伝えるのは初めてのこと。宮内庁侍従職が東京両国国技館で村山理事長代行に手渡し、白鵬はコピーを受け取った。書簡は「困難な状況にありながら、連日精励奮闘して幕内全勝優勝を果たしたのみならず、大鵬関を超え、歴代3位の連勝記録を達成した」とたたえ、「今後とも元気に活躍するよう願っている」と激励した。 何よりもうれしいお心遣いだ。場所前には「私も含めて、われわれすべての力士は天皇陛下の賜杯を抱くために日々努力している」と特別な思いを披露。名古屋場所で優勝しても賜杯を抱くことはかなわず、土俵上で男泣きした。それだけに陛下のお言葉が胸にしみ、「この前(千秋楽)は悔しさと寂しさがあって涙が出たけど、今回は心から喜べる」と、心にたちこめる霧は完全に晴れた様子だった。 野球賭博問題や暴力団問題など暗い話題が土俵外を揺るがしているが、相撲界に久々に届いた吉報。「これからも国技相撲の発展のために頑張りたい」。モンゴル出身ながら日本の心を持った白鵬が、気持ちも新たに秋場所(9月12日初日、両国国技館)に向け再出発する。 平成22年8月4日午前9時32分 白鵬笑った!陛下からお祝い書簡 大相撲 2010年 08月 03日
秋田市の竿灯祭り(国重要無形民俗文化財)が3日夜、4日間の日程で同市の竿燈大通りを主会場に開幕した。71団体が計253本を出竿。揺れる光の稲穂が観覧席や沿道を埋めた大勢の観衆を魅了した。 「ドッコイショー、ドッコイショ」の掛け声と、太鼓や笛のお囃子が響き渡る中、差し手たちは、手のひら、額、肩、腰に竿燈を移動させて、自慢の妙技を披露した。 4日からは、同市の千秋公園中土橋で差し手や囃子方が練習の成果を競う竿灯妙技会(昼竿灯)が開かれる。雨天時は同市立体育館に会場を移す。 平成22年8月3日午後10時26分 光の稲穂が魅了、竿灯祭り開幕 秋田市、71団体計253本 2010年 08月 02日
■月末から3カ国に 政府は1日、8月末から9月にかけて、資源獲得やインフラ輸出などの貿易・投資の拡大を図るため、南アフリカなどアフリカ南部3カ国に官民合同の代表団を派遣することを決めた。将来的な経済成長が見込めるアフリカ南部に足場を作るきっかけとするとともに、政治、経済両面で急速にアフリカへの関与を深めている支那に対抗する狙いもある。 代表団は政府から外務や経済産業、国土交通などの各省、国際協力銀行などの政府機関、総合商社やメーカーなど20社前後が参加する予定。団長は藤村修外務副大臣が務める。 派遣国は南アフリカ、アンゴラ、ナミビアの3カ国。サッカーW杯を成功させた南アには原子力発電所や高速鉄道の分野で輸出増大を目指す。 ウランや亜鉛の世界的な産出国であるナミビアと、豊富な石油、ダイヤモンドを誇るアンゴラでは、資源開発プロジェクトの参画を狙う。アンゴラへは円借款の供与も始める方針。 政府は平成20年5月、横浜市で開催した第4回アフリカ開発会議で、当時の福田康夫首相が24年までにアフリカ向け支援を倍増(約34億ドル)させる方針を表明。20年8~9月に3チームが計12カ国を訪れたが、「当時は行くことに意味があり、顔見せ程度で終わった」(外務省幹部)という。 具体的な成果を目指す今回の派遣は、政情が不安定な地域で、政治的な連携と資金面で官の後ろ盾を求める民間の要請もあって実現した。政府は今後、アフリカ北部と西部にも代表団を送りたい考えだ。 豊富な天然資源を持ち、過去10年間で平均5%の成長率を誇るアフリカは、「希望と機会の大陸」として国際社会の関心が高まっている。特に近年、めざましい勢いで存在感を強めているのが支那だ。 支那とアフリカとの貿易額は平成20年に1千億ドルを突破。3年間で2・5倍に達する勢いだ。日本とアフリカ間は350億ドル(同年)と大きく水をあけられている。 全53カ国のアフリカにある大使館数をみても、支那は48カ国で米国と並びトップだが、日本は31カ国。過去5年間の要人訪問国は支那の延べ50カ国に対し、日本は9カ国にすぎない。 支那は政府開発援助による事業を支那企業に受注させる「ひもつき援助」を進め、対アフリカの資金援助でも2国間の貸借を公表していない。国際的ルールを無視したやり方に批判が出ている。 平成22年8月2日(月)午前8時零分 アフリカ南部へ官民代表団 資源獲得やインフラ 貿易など支那に対抗 2010年 07月 22日
宇宙航空研究開発機構は七月廿一日小型科学衛星開発計画の概要を発表した。これによると小型科学衛星一号機は平成二十五年度にイプシロンロケットでの打ち上げを目指し開発を進めているという。 一号機は金星火星木星を極端紫外線で観測する。金星火星については大気流出を観測し惑星大気流出の太陽風の応答を解明して惑星大気進化の歴史の多様性生命を育む惑星の成立条件を探求する。木星の観測では電子温度を導出するとともに発光領域の背景エネルギー収支のメカニズムを解明し惑星環境多様性の理解を促進する。 小型科学衛星のミッションの特徴には「極端紫外線で観測する科学は例がほとんどないため発見的な要素が多く教科書を書き換える成果が期待できること」「指向安定度は数秒角を目指しており大型衛星と遜色ないこと」などがある。 二号機以降のミッション候補としては「プラズマセイル」「小型電力波観測衛星」「ダークバリオン探査衛星」「小型月探査技術実験機」などが挙げられている。 平成二十二年七月廿二日午後七時三十分 宇宙航空研究開発機構が平成二十五年度に小型科学衛星一号機打ち上げ 金星火星木星を観測 2010年 07月 16日
可児市土田の可児川にかかる虹ケ丘橋付近で同市広見の主婦、細田由里さん(46)が流された際に居合わせ、娘(19)を救出した可児市内の会社員の男性(34)が16日午前、当時の状況を振り返った。 男性が帰宅途中に現場を通った15日午後7時40分ごろ、高架下は約20センチほど冠水していた。その後、車のエンジンが止まり、立ち往生している間に突然、濁流が流れ込み、浸水。男性も含め、逃げ遅れた車4台が浮いた状態になったという。 男性の2台後ろには、細田さんの車があり、道路の反対側に流された際に接近。車体に上がっていたこの男性が、自分の車にしがみついている細田さんの娘を見つけ、引き上げたという。その際、細田さんの車中から「娘をお願いします」と告げる声だけが聞こえ、娘は「お母さん、お母さん」と泣き叫んでいたという。男性と娘は道路脇のフェンス伝いに浸水している現場から離れた。 近くにいた別の会社員男性(19)が細田さんの救出に向かったが、浸水がひどく暗かったことから近寄れなかったという。その後、消防団員らが呼びかけたが、細田さんからの応答はなかった。 さらに水位が上がり、流れてきた大型トレーラーが目の前の高架にぶつかった。気づくと細田さんの車はもう視界から消えていたという。男性は「30分間ほどの出来事。水が引き始めると、細田さんの車の行方が分からなくなっていた。ただ見守るだけでなすすべがなかった」と悔やんでいた。 平成二十二年七月十六日午後二時三十三分 岐阜大雨被害 母「娘をお願い」会社員、濁流のなか救助
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